Hoax or Metaphor? オオカミ少年は真実を語れるか──世界を騙したJ.T.リロイ=ローラ・アルバートの狂気と正気
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』の日本上映に合わせた来日時のインタビュー。
ポートレート撮影は間部百合さん。
映画『サラ、いつわりの祈り』より |
CUT & WRAPPED:『サラ、いつわりの祈り』
『Dazed & Confused Japan』(38)掲載(2005/05)
平凡な里親のもとで育てられていた少年ジェレマイアは、ある日を境に本当の母親と暮らすことになる。その母、サラは娼婦でドラッグ中毒。無軌道な放浪生活をジェレマイアに強要するかと思えば、彼を置き去りにして男とともに姿を消す。それでも結局、親子は離れられない……。妖婦アーシア・アルジェントの監督/脚本/主演で制作された『サラ、いつわりの祈り』。その原作者、JTリロイの“J”は、ジェレマイアの頭文字。そう、これは彼の自伝的物語でもある。
— 小説『サラ、いつわりの祈り』はあなたの子供時代の体験をもとに書かれたそうですが、実際あなたが母親とこのような放浪生活を生きてきたと知ると驚きます。そもそも、小説を書き始めたきっかけとは?
セラピストのテレンス・オーウェンスに出会ったことが大きいと思う。St. Mary's Medical Centerで青年精神医学を担当する彼と(電話相談のホットラインを通じて)知り合ってから、何度も何度も話をしたんだ。そこで彼に、毎回話した内容を書き留めておいたらどうかって提案された。そのときすぐ言うことを聞いたわけではないのだけど……。彼はソーシャルワーカー志望の生徒との集まりも開いていて、僕は現状の社会福祉がいかに役立っていないかを彼に説いたりもしていた。先生はそこでまた「それはとても大切な提案だから、文章にしてくれないか」って言うんだ(笑)。彼らの会合が毎週月曜日だったから、必然的にその日が僕の原稿締め切り日になった。当時僕はまだストリートで働いていたんだけど、ファックスを何とか手に入れて毎週送り始めた。そのうち、書いてはファックスする、という行為は僕の中で新しい中毒になっていき……。こうして書いたものの多くが、小説のもとになってもいる。
— 自分の世界が「普通」でないことには、ある時期に気付いたのですか?
確かに僕は、毎日お弁当をもって友達と学校に通うような子供時代を過ごさなかった。ただ、もっと以前の記憶、里親のもとで普通の家庭環境にいたことはある。だから、その後サラと過ごすようになったときは、自分がちょっと異質な環境で生きているということは感じていた。でも当時は状況に身を委ねて、受け入れようとしていたね。
— 主演/脚本/監督を務めたアーシア・アルジェントからの要請で映画化が決まったそうですが、完成した映画に対してはどんな感想を持ちましたか?
とても誇りに思うよ。今までにないタイプの力強い作品だと思う。映画のなかには様々な隠喩が埋め込まれ、普遍的なテーマが扱われている。だから多くの人にとって共感できる部分はあると思うんだ。これは母親の愛を求める少年の話だけど、善悪や白黒を明確に断言はしていない。だって、現実の世界はそんなに単純じゃないからね。
— 主人公の少年ジェレマイアは、いわゆる「恐るべき子供」的な面もある一方、決して周囲に対して攻撃的ではないですね。また、単純な「子供対大人」の図式でもなく、登場人物すべてが同じ地平で描かれているのも印象的です。原作者としてはどう考えていますか?
この親子は対立関係というより、一対のユニットなんだ。少年は母親に教えられたことを受け入れて実践し、母は我が子を自分の所有物のように考えている。母から望まれていないんじゃないかと感じて、あるとき聞いてみたことがあるんだ。僕が8歳位のときだと思う。「どうして僕を側に置いておくの?」ってね。母は「誰だって自分を良く知っている人が必要なんだ」って言っていた。
— 映画は小説を忠実に再現している印象が強いのですが、ラストシーンだけは違いますね。こうした点については、アーシア・アルジェントとも話し合ったのですか?
最初から、脚本に関しては自分で書くつもりはなかったんだ。アーシア自身が優れた書き手だから、彼女の書いたものに僕の意見をフィードバックするというかたちで進んでいった。彼女が用意した映画版のエンディングは、人々に希望を与えられるものだと思う。映画が終わった後も、この親子の冒険の続きを思い描くことができるし、僕も気に入っている。
— あなたにとって、書くという行為はどんな意味を持っていますか?
書く事とは、人々の物語や歴史、風景、そうしたものを記録すること。僕にとって意味のある文章とは、それを読んだ人がこうした記録を、本能的な部分で感じ取れるものだと言える。書く事は、タイムカプセルのようなものでもあるかな。普通なら誰にも話さないような体験—辛い事も含めてーを、埃となって消えないようにしまっておくんだ。それを読む人々は、後になってこうした体験を知る事ができる。味や匂い、触れたときの感覚がわかる位にね。
Laura Albert